不妊治療は主人のセックスレス改善から恥を忍んで誘っても

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35歳から始めた私の不妊治療が、終わりを告げたのは39歳の時でした。その内容を、徒然なるままに書かせていただきますね。

~病院に行くまで~
我が家は夫婦ともに30歳目前で結婚しましたが、しばらくは2人の生活を楽しみながら貯金もしたかったので、妊娠を急ぐつもりはまったくありませんでした。

しかし3~4年後、リーマンショックの影響から、私の勤務先で希望退職の募集が発生。年齢と、主人も同意してくれた退職を機に、初めて子作りを意識するようになったのです。

そうして意気込んだものの、なかなか上手く行かず...。主人は私よりも子供を欲しがっていたので、さぞ積極的になってくれると期待したのですが、結婚前からの主人のセックスレスは変わりませんでした。恥を忍んで誘っても、断られてしまう日々が半年過ぎたあたりで、私の心は折れました。

ちょうどその頃、保育士の友人から不妊治療で結果を出したというメールが届きます。
当時から不妊治療がテレビや新聞で話題になっていたものの、私は毎月きちんと生理が来ている自分とは別の世界の話だと思っていましたし、「友人のように、仕事にするくらい子供が好きな人・欲しい人が受ける特別な治療なのだろう」程度の認識でした。

しかし「治療する・しないは別として、検査だけでも受けてみたら?」という身内のアドバイスと、病院に行くほど切羽詰まった状況だと思わせることで主人のセックスレスを改善しようという作戦も思いつき、いよいよ私も病院に足を向けることにしたのです。

~初めての病院~
インターネットで下調べをして「検査だけだし、もし悪い所があっても治せば良いね」「体外授精まではやらない方針で」などと、夫婦で簡単に考えていました。病院も、家から近いという理由だけで「不妊治療もできる個人の産婦人科」を選択。

検査結果は、やはり夫婦ともに異常なし。(精子が若干少ないけれど、許容範囲らしい)ただしフーナーテスト(性交渉後の子宮内に残った精子数を確認する)は思わしくなく、2回目の診察にして「自然妊娠は難しいかも」という厳しい結果をいただきました。

でもまぁ、産婦人科の先生に指導してもらえばすぐに妊娠するでしょ?とタイミング法なる治療を始めたのも、ほんの気休めのつもりでした。

ところが、処方された漢方を飲んでタイミングを経ても、生理は順調に来てしまう始末。数か月経ったところで「人工授精1回1万円」の書類が、頻繁に目に付くようになります。
「1万円なら何回かやってみようか」と、この頃から私も主人も何かにすがりつきたい気持ちが露わになってきました。

薬で卵子や子宮を整え、精子も準備万端!毎回そんな感じで人工授精を4回行いましたが、結果はいずれも撃沈。精密機器並の生理の律義さが心底恨めしくなります。頼みの綱だった人工授精でさえ妊娠できない日々を繰り返すうちに、私たちに不安や焦りが出て来ました。そして治療歴たった1年、35歳ではまだ子供を諦める勇気もありません。

そんな時期に、親類や別の友人から立て続けに妊娠や出産の報告を受け、この頃から私は徐々に自分で自分を追い詰めていく事になります。

さほど子供の有無にこだわらなかった私でしたが、いざ妊活を始めても妊娠しない現実を痛感した時のショックは結構なものでしたね。冷静に考えれば、子供が人生のすべてではないのに、当時の私には「子供が産めない自分は欠陥品」という意識が強まり、勝手にストレスを増やしては悪循環を招いていました。

~転院するも、苦い思いをする羽目に~
初診から約1年が過ぎ、体質改善に時間がかかる東洋医学や個人病院(しかも基本は産婦人科)の治療に限界を感じたため、大学病院の不妊専門科に転院することを決めました。

費用は今までより高くつきましたが、医者が高飛車で適当な感じを除けばさすがは専門科。検査や設備が充実しているうえ、妊婦さんに会うストレスも軽減されて喜んだ...のもつかの間、人工授精(1回3万円)を繰り返しても結果は出ず。

もしや受精ができていなくて、もう体外授精しか望みがないのでは?夫婦でそんな疑問を抱き始めた頃には、もう人工授精は合計8回目になっていました。(病院側から体外授精を勧められなかったのでダラダラ続けてしまいましたが、人工授精は4回やってダメならステップアップが望ましいことを後日知ります。)

これまで治療してきた意地と、累積された悔しさや切なさは、とうとう私たちを体外授精へと導きました。この決断が、非常に苦い経験になるとは露も知らず。

まず12月の今予約しても、採卵~移植~妊娠判定まで、およそ1年後になるとのこと。
学会の間は休診になるうえ、もともとの予約件数が多いからどうしても順番待ちになってしまうという理由に、初心者の私は「そういうものなのか」と了承せざるを得ませんでした。(しかし、これも異常であることが後日に分かります。)

投薬で準備した後、いよいよ採卵の日。8個の卵子が育っていましたが、採れたのは5個。5個でも順調に授精して育ってくれれば御の字だと、期待に胸を膨らませたわけです。

すると、今度は顕微ではなく体外授精が行われるという問題が発生。まぁ体外or顕微は病院が判断すると契約書にも記載があるので、問題というよりは患者と医者の意見の相違ですけどね。

5個の卵子のうち、授精したのは3個で、そのうち1個は2匹の精子が入り、もう1個は奇形の精子が入ってしまい、まともな受精卵はたった1個だったのですが...。もともと精子が頼りないのは把握していたのだから、人が精子を選ぶ顕微授精にしていれば、もっと受精率に期待ができたのでは?というのが私の主張でした。

しかし先生の回答は「体外授精でも十分期待できる(精子の)数値だった」と...。患者には基準まで判断できないし、私は黙るほかありませんでした。こうして、受精しなかった残りの卵子2個も廃棄され、たった1個の受精卵に、約1年の時間と50万円のすべてを委ねなければならなくなったのです。

さらに移植間近になり、追加で約5万円近くを要求されるトラブルが!聞いてないよ!
今さら着床率を上げる薬が別料金と言われても、ここまで待った身としては、
払わざるを得ないじゃない...。ただ従うしかない状況に、どんどんストレスは溜まりました。

理不尽やボッタクリに遭いながら、やっと移植も済ませて、とうとう運命の判定の日。「着床はしたけど科学流産」という検査結果が、私を奈落に突き落としました。そんな私へ医者が放った言葉は「他の病院で再度治療する選択肢もありますよ」...。

流産は仕方ないとしても、判定直後に自ら率先して転院を勧める無責任な医者。私は「他に行くから早く紹介状を下さい!」と、世話になったお礼も言わずに診察室を後にしました。(もちろん診察料は払いましたよ)その後、さすがに悔しくて泣けてきました。

この日は仕事だった主人に顛末をメールで報告。「仕方がないね。今後のことはまた後で考えるとして、とりあえずお疲れ様。」という返信が。もともとはあんたのセックスレスが原因では?と思いつつも、彼らしい文章が師走の寒空の下、ゆっくりと胸に沁みた37歳の冬でした。

最初で最後の体外授精にしては、あまりにも杜撰で悔いが残る内容だったと主人も感じていたようで、苦痛と屈辱の中でも、自力での授精が困難だと分かったことは大きな進歩であり、流産したものの初めての着床が私たちの希望を与えたことも事実です。

じっくり相談した結果、新年も明けて心機一転、また病院を変えて治療を継続することに決めました。

~最後の出会いがもたらしたもの~
次に選んだ大学病院の不妊専門センターは、家からかなりの距離があるため敬遠していたのですが、実は県内でも評判の専門医でした。その理由は、まず受付から看護師さんまで、スタッフの方が全員丁寧で親切なのです。

特に担当して下さった先生は、口調も穏やかで患者さんの立場に立った分かりやすい説明をしてくれる、若くして知識も経験も豊富な先生でした。

どんなに些細な疑問にも、こちらが納得をするまで相談に乗ってくれて、実際の治療が始まる前なのに「この先生でダメなら、スッパリ諦められる」と思えたほどです。

しかも、体外授精を予約して妊娠判定まで早ければ2~3か月というスピード。これも評判の理由のようで「前の病院は1年かかった」と伝えると、先生に笑われてしまいました。

初めて検査した卵巣年齢(AMH値)が歳相応という結果から、前回と同じロング法が採択されましたが、今回も採卵できたのは5個で、顕微授精でも受精卵は1個だけ...。そのうえ、その1個は着床すらしないという散々な結果に終わりました。

これには先生も納得いかない様子で、大変残念に思ってくれていたのが印象的でした。
そしてこれまでの病院とは大きく違ったのは、判定結果だけを伝えるのでなく、励ましも兼ねた具体的な傾向と対策を講じてくれたのです。

そもそもロング法は卵巣年齢に問題がない、比較的若い人向けの方法とのこと。若い人扱いをされたのは悪い気はしませんでしたが、治療年数も長く、38歳を目前に控えた私にはイマイチ合わない方法だったのかもしれません。(紹介状の記入漏れか?)

そこで、一度ショート法を試してみても良いのでは?という説明を受け、私たちもギリギリの資金があったことと、この先生がそう言うなら...と、再度ショート法で試す運びとなりました。スッパリ諦めるつもりが、なんたる意志の弱さでしょう。

しかし、その薄弱な意志が、後に奇跡を呼び起こします。ショート法では9個も採卵できて、初めて2個の受精卵が完成。(少ないけど増えた)初の2個まとめての移植で陽性判定、しかも1個の胎嚢が確認されるまでに至りました!

結局、妊娠7週で成長が止まり、胎芽も心拍も確認できないまま流産になるのですが、
私たちはそのショックよりも、目に見える形まで育った喜びの方を強く感じてしまいました。

こうなったら、最後の悪あがきです。もちろん無事な出産がベストですが、「ダメでもともと」がスタンダードになったこの頃は「いかにやり尽して後悔をなくすか」がメインになっていましたので、先生には速攻でアンコールを希望。今になれば、不妊治療にはこのくらいの気楽さが重要だったのかもしれません。

そして家じゅうのお金をかき集めて挑んだ最終決戦。6個の採卵で受精卵は1個。これも想定の範囲です。こうなったら毎回1個とか2個だったことに意味があったと信じようじゃないですか。

過度の期待は抱かないまま、迎えた妊娠判定は...まさかの陽性。出血に怯えつつ、週を追うごとに胎嚢・胎芽・心拍まで確認でき、とうとう憧れの母子手帳を入手した時には、不妊治療専門センターも卒業になりました。

偶然かもしれませんが、これらの結果にもまた、評判が良い理由を実感したのです。神対応してくれた上に、結果まで出してくれた先生と病院のスタッフさんに感謝しながら、今では同じ大学病院の産科で安定期に突入しました。

これまでの流産や出産時40歳の年齢を考慮すると、元気に産まれるまで安心はできませんが、万が一残念なことになっても、後悔なく夫婦2人の人生を送る自信があります。

以上が私たち夫婦の不妊治療のすべてです。

長くなりましたが、不妊治療は精神的・肉体的・経済的な負担が多大であるにも関わらず、誰もが必ず結果が出せるわけではありません。それでも老後になって「もうちょっと治療してみれば良かったのかな」と後悔することは避けたいですよね。

「この年齢で、こういう経過があったけど結果を出せたよ」という私の経験が、不妊治療で悩んでいる方々の参考になれば幸いです。

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